月観て走る

雄叫びメモ帳

お姫様は淡い緑の水の中にいるーシェイプ・オブ・ウォーター感想

感想と言うかただのラブレターです。若干のネタバレを含みます。

 

見終わったあとも、ずっと淡い緑の水中にいるみたいだった。

怪獣は、お姫様とのキスで人間の王子様にならない。
声を失ったお姫様は、愛する人と結ばれても、声を取り戻すことができない。

私がずっと待っていたおとぎ話だ。そう思った。
同じように思う人が、きっと世界中にたくさんいるだろう。
子供の頃に見たかった。
きっと、小さい頃の私は、夢中になったはずだ。R15だけれども!


彼女はどこかの尊い血筋を引いている訳でも、ピンチの時に体から奇跡の青い光が溢れてヒーローを救うような能力も持たない。
性的な知識の全く無い汚れなき乙女ではないし、十分に成熟した女性で、王子様に一目惚れされるような華やかな見た目でもなく、目立った能力も持たず、ただひっそりとこの世界を生き延びている。

そう、生き延びている。
隣の画家のおじさんも、口は悪いけど優しい掃除婦の同僚も、見えないように、人間としてカウントされずそこに居ないもののように扱われながら、生き延びている。
薄闇に隠れ潜む優しい小さな世界は、セットの美しさも相まって、異世界みたいなとろりとした膜に包まれている。

このヒロインが惚れ惚れするほど美しかった! 皺もあり、年相応の年輪が浮かび始める年頃なのに、時々少女のように見える。彼に恋い焦がれている時は特に。

彼も美しかった。
半魚人と恋するだなんて(ましてやセックスするだなんて)、どう美化して映像にしてもグロテスクになるんじゃないか、と思っていたはずなのに、彼女が恋がれて恋がれて手を伸ばした理由が一目でわかる。


お姫様の出てくるおとぎ話は、どこかしっくりこないまま大人になってしまった。素敵だと思ったし、憧れた。ただ、時々針のような違和感を感じていた。
やるせない選別は生まれて数年から早々に始まっていて、美しい姫君になるのを夢見ることを、早々に諦めた女児もいるのだ。私とか。

シンデレラ、白雪姫、人魚姫、美女と野獣……
美女と野獣は何度も繰り返してビデオを見た記憶がある。主人公のベルは自分と同じ本好きだったし、あの野獣は良かった
あの野獣を嫌いになれる小さな女の子がいるだろうか。粗野で、荒々しい力を持て余し、怒鳴り散らし、吠え、孤独に隠れ棲み、私だけがただ一人、彼の美しさと優しさを知っているーーー

けれど、戻ってしまうのだ! 荒々しくセクシーな野獣から、ふつうの、男臭いハンサムの、自信にあふれた男性に! これだったら元いた村の毛むくじゃらのガストンでも良かったじゃないか。嬉しいエンディングのはずなのに、がっかりしたのを覚えている。
でも口には出せなかった。人間より野獣のほうが良いなんて、いけないことのような気がしたから。

だから、公開前に「だから僕は半魚人を野獣のままにした。モンスターだからいいんだよ」と語るギレルモ・デル・トロ監督のインタビューを読んだとき、この映画を見に行くことに決めた。


半魚人はお姫様とのキスで人間の王子様にはならない。
声を失ったお姫様は、愛する人と結ばれても、声を取り戻したりしない。

声を持たないこと。
人間ではないこと。

欠落はきっかけだったかもしれない。けれど、恋に落ちきったあと二人は、欠落なんて全く忘れているように見える。
その二人が、(社会でいうところの)「欠落のない二人」に、生まれ変わる必要なんて、きっと、無い。

ただあるがままで、自分が自分であるままで愛したひとに、愛される。それは何てありふれた、けれど叶いそうにない望みであることか!

それが叶う瞬間が見れた。

甘ったるいセンチメントだと笑うひともいると思う。
それが例えスクリーンの上のおとぎ話でも、それを得られることは幸せだ。

とても幸せな夢を観れました。いい夢をありがとう。