月観て走る

雄叫びメモ帳

PRINCE OF LEGEND1話 個人的な覚え書き

感想です。ネタバレを含みます

 

一つツッコミどころがあったらこれでもかとSNS等で炎上の殺伐とした光景に遭遇しがちな昨今ですが、皆様いかがお過ごしでしょうか。
しかし少々のポカには発狂しがちな人類でも、底が抜けたように大きな穴が既に百万個存在し、

輝く頬を持つきれいな笑顔の男たちが重機を使って更に百万個の穴を生産すんぞおおおおおおと楽しそうに気勢をぶち上げている光景を目前にしたとき、どんな気持ちになるのでしょうか。

ヤバくて何か熱くなるんだと思います。

 


そんな気持ちにさせてくれるドラマに出会ってしまった。

 


冒頭、銀河万丈氏の壮大なナレーションと共に次々と登場する男衆の個性豊かさ、熱さ、その過剰さ。
ドドドドドドドドドンと工場のライン作業のように軽快に決まっていく壁ドン。
パースが狂ったような長い豪奢な車から颯爽と降り立つ浮世離れした美しい王子(奏さま)。
奏さまは、セレブ王子というプロフィールから超人のようなそれを期待していたら、愛くるしい笑顔のキュートな人であった。その側近の眼鏡……狙い撃ちしたように冷たい冴えた美しい眼鏡姿の第一側近に、時々目線に底知れない何かを感じる宝生永夢ゥ…じゃなかった第二側近。
全てが煌めいている。
過剰だ。何もかも過剰だ。

六角精児の度重なる女遊びによって壊れてしまった母君による子育てエピソードがほのぼの怖く、奏様のパーフェクトぶりは努力の賜物だと知って納得したあとも、パレードは続く。
相変わらず奏さまは過剰にかっこいい。側近たちもかっこいい。白い長い車がかっこいい。倒れたメイドを紳士的に姫抱っこで額をコツンでかっこいい。かっこいい男たちが、群れで、きらめきながら、次々と設定を積み重ねていくたび段々心が追いつかなくなって来る瞬間がある。この世界が狂っているんだろうか、それとも私が……

三十分弱という僅かな間に混乱をきたしたところに颯爽と現れたヒロイン。この子がほんと男前だった。かっこよさはとっくにインフレーションを起こしていたと思っていたのに、まさかのヒロインまで。
視聴者が薄々思っていた言葉とツッコミを胸ぐらを掴んで口にしてくれるヒロインに惚れずにいることってできるのだろうか。

焦らして溜めて溜めて溜めてからのアッパー、ここで決まった!! 的な爽快なさがあった。いいプロレスだった。世界がパァッと輝いた。

でも、でも……こんな男前のヒロインに奏さまは惚れない。
こんな可愛い上に心がイケメンなのに!! お母様の生まれ変わりじゃないって駄々をこねるように混乱する王子って、新しいな……と思ったところで満を持して現れたメカ理事長。理事長らしきキャラクターが動くたび明らかにウィンウィン機械音を立てているけれどもうツッコむ気力が無い。呆然と次回予告を見送った。

 

PRINCE OF LEGEND、 二話も見る。見ますとも。

舞台「サメと泳ぐ」個人的な覚え書き

2018/9/1から公演中の舞台「サメと泳ぐ」感想です。ネタバレを含みます

 

こりゃ胸糞悪いものを見てしまった、とカーテンコールで拍手しながら思った。

 

いや、舞台は良かった。とても良かった。

 

オフィス、ヒロインの自室、電話の向こう側と、舞台上で目まぐるしく展開されていく怒涛の台詞の応酬。

ちょっとあくどいくらいドラマチックに大音量で鳴り響くビバルディの「冬」。

惚れ惚れするような田中哲司氏の悪役ぶりに、真っ直ぐな夢を抱いた初心な好青年と、美しく苛烈なヒロイン。

田中圭氏が演じるガイは、舞台の幕が上がった瞬間はまごついた二十代のあんちゃんにしか見えない。それが僅かな時間でみるみる姿を変えてゆく。それを呆然と見守っているうちに三時間経っていた。

 

 

 

観ながらずっと、

「好きなこと」を仕事にした上で、

誠実なまま仕事に取り組んで、

なおかつ生活や人間関係をある程度破綻させないで年単位で継続させることは可能か、みたいな無理ゲーの問いをずっと考えておりましたよ。

……無理だろうな。

 

どこまで巻き戻したら主人公のガイが映画を愛したまましあわせになれる分岐を見つけられるのかなという問いも、繰り返しておりましたよ。

……冒頭で気の触れたような上司の怒鳴り声を聞いた瞬間に、こんな場所で働けるかクソがと椅子を蹴って田舎に帰る以上の選択肢が、もしかして彼にはあったんだろうか。

 

きっとハリウッドに限らず、夢を見る者の棲み家も、行く末も尽く地獄だということを、田中圭のわがままボディ目当てに劇場までのこのこやって来た、にわか観劇者(私だ)に突きつけてくる恐ろしい舞台だった。

 

 

 

 

野波麻帆氏が演じるヒロインのドーンには、男社会で生き延びる女性には必須の、老獪な柔らかさに、少し欠けているように思えた。

例えばクソ経営者様が「女性ならではのしなやかさで」とか小賢しく表現する、アレ。別に持つ必要は無いけれども、持っていれば若干生きのびる難易度が下がり、目的達成からは遠ざかる、厄介なアレ。

 

ただ、それを持たないドーンは、純粋だったのかもしれない。必死に棘で武装して、やりたいことを実現するために最短距離で突っ走った。

だからこそ彼女は生き延びられなかった。哀れなミス・ゴージャス。一途に自分の理想の映画を作ろうともがき、女として値踏みされ続け、腸が煮えくり返るような思いをいくつもいくつも重ね、とうとう恋人に殺される運命を迎える

 

「ここから逃げよう」彼女が体を張って積み上げてきたものから目を背けて、目の前の現実から目を逸らして、甘っちょろい逃避を囁くような恋人に。

 

 

観劇中、不意に「シェフ〜三ツ星フードトラック始めました〜」という映画を思い出していた。

かつて才気溢れていたトップシェフが、気が付くと惰性と妥協を受け入れざるを得ない雇われシェフの立場に陥り、私生活も家庭も壊滅状態、おまけにグルメブロガーとのネットバトルに巻き込まれ無職となり、紆余曲折を経て再生を果たすこの映画は、この舞台とかなり近いモノをテーマにしていたように思う。

町山智浩氏がラジオにて、映画のバックグラウンドを語っていらした → 

https://miyearnzzlabo.com/archives/21178

 

雇われ仕事での理想と現実を描きながらも、誠実で柔らかく、少しファンタジックなタッチが現実はここまで上手くいかないかもね、と、囁きつつ、それでも希望に満ちた映画だと思う。

似たようなテーマでも、ここまで違う口当たりにできるものか。

 

「シェフ〜」が大人の童話だとしたら、

「サメと泳ぐ」が舌に残すのは剥き出しのコンクリートの荒涼。

 

現実にビンタされ続けている身としては、フィクションとしてどちらのタッチが好みかといえば断然前者なのだけれども。

 

それなのに面白かった。ものすごく面白かった。胸にクソ重たい爆弾を喰らってしまった。くそう、悔しい。

お姫様は淡い緑の水の中にいるーシェイプ・オブ・ウォーター感想

感想と言うかただのラブレターです。若干のネタバレを含みます。

 

見終わったあとも、ずっと淡い緑の水中にいるみたいだった。

怪獣は、お姫様とのキスで人間の王子様にならない。
声を失ったお姫様は、愛する人と結ばれても、声を取り戻すことができない。

私がずっと待っていたおとぎ話だ。そう思った。
同じように思う人が、きっと世界中にたくさんいるだろう。
子供の頃に見たかった。
きっと、小さい頃の私は、夢中になったはずだ。R15だけれども!


彼女はどこかの尊い血筋を引いている訳でも、ピンチの時に体から奇跡の青い光が溢れてヒーローを救うような能力も持たない。
性的な知識の全く無い汚れなき乙女ではないし、十分に成熟した女性で、王子様に一目惚れされるような華やかな見た目でもなく、目立った能力も持たず、ただひっそりとこの世界を生き延びている。

そう、生き延びている。
隣の画家のおじさんも、口は悪いけど優しい掃除婦の同僚も、見えないように、人間としてカウントされずそこに居ないもののように扱われながら、生き延びている。
薄闇に隠れ潜む優しい小さな世界は、セットの美しさも相まって、異世界みたいなとろりとした膜に包まれている。

このヒロインが惚れ惚れするほど美しかった! 皺もあり、年相応の年輪が浮かび始める年頃なのに、時々少女のように見える。彼に恋い焦がれている時は特に。

彼も美しかった。
半魚人と恋するだなんて(ましてやセックスするだなんて)、どう美化して映像にしてもグロテスクになるんじゃないか、と思っていたはずなのに、彼女が恋がれて恋がれて手を伸ばした理由が一目でわかる。


お姫様の出てくるおとぎ話は、どこかしっくりこないまま大人になってしまった。素敵だと思ったし、憧れた。ただ、時々針のような違和感を感じていた。
やるせない選別は生まれて数年から早々に始まっていて、美しい姫君になるのを夢見ることを、早々に諦めた女児もいるのだ。私とか。

シンデレラ、白雪姫、人魚姫、美女と野獣……
美女と野獣は何度も繰り返してビデオを見た記憶がある。主人公のベルは自分と同じ本好きだったし、あの野獣は良かった
あの野獣を嫌いになれる小さな女の子がいるだろうか。粗野で、荒々しい力を持て余し、怒鳴り散らし、吠え、孤独に隠れ棲み、私だけがただ一人、彼の美しさと優しさを知っているーーー

けれど、戻ってしまうのだ! 荒々しくセクシーな野獣から、ふつうの、男臭いハンサムの、自信にあふれた男性に! これだったら元いた村の毛むくじゃらのガストンでも良かったじゃないか。嬉しいエンディングのはずなのに、がっかりしたのを覚えている。
でも口には出せなかった。人間より野獣のほうが良いなんて、いけないことのような気がしたから。

だから、公開前に「だから僕は半魚人を野獣のままにした。モンスターだからいいんだよ」と語るギレルモ・デル・トロ監督のインタビューを読んだとき、この映画を見に行くことに決めた。


半魚人はお姫様とのキスで人間の王子様にはならない。
声を失ったお姫様は、愛する人と結ばれても、声を取り戻したりしない。

声を持たないこと。
人間ではないこと。

欠落はきっかけだったかもしれない。けれど、恋に落ちきったあと二人は、欠落なんて全く忘れているように見える。
その二人が、(社会でいうところの)「欠落のない二人」に、生まれ変わる必要なんて、きっと、無い。

ただあるがままで、自分が自分であるままで愛したひとに、愛される。それは何てありふれた、けれど叶いそうにない望みであることか!

それが叶う瞬間が見れた。

甘ったるいセンチメントだと笑うひともいると思う。
それが例えスクリーンの上のおとぎ話でも、それを得られることは幸せだ。

とても幸せな夢を観れました。いい夢をありがとう。

推しにメンチを切って殴られ退場する名もなきモブチンピラに私はなりたい:ハイロー感想のようなもの

推しにメンチを切って殴られ退場する名もなきモブチンピラに私はなりたい。


まずメンチを切ろうと思う。
メンチを切るなんて僥倖はモブの身には勿体無いのではという思いもある。しかしここは自分の気持ちに素直に身を任せたい。

目と目が合ったその瞬間、あっ負けた、とモブは悟る。
コンマ1秒か2秒、拳を交わす前に負けを悟るまっすぐな心のモブに私はなろう。

 


できれば最初の一発目は顔面に。
服なんていう野暮な夾雑物で相手の拳を遮りたくない。
けれども最初の一発目は躱したい。一撃で倒れる不甲斐ないモブだなんて思われたくない。
肌の一ミリ上を掠めていく風圧を感じたい。
かわした瞬間、
「コノヤロウ」って推しの闘争本能が剥き出された現場を目前にしてヒリヒリしたい。
「あ、俺死んだ」って背中までビリビリビリビリ走る電流のように原始的な恐怖に震えたい。

 


次の一発は腹で受けたい。しかしささやかなモブのプライドでまだ倒れるわけにはいかない。
倒れず痛みに呆然としつつもヘラヘラ笑って立ち上がることでようやく1000人はいる有象無象のモブから「有象無象よりちょっと上のモブ」に昇格できる気がする。
ここでちょっと洒落た挑発や古今東西の名作名画をもじった動きをしたいところだけれども、敢えて踏みとどまろう。
私はモブだ。一モブとして生き一モブとして無様に倒れるべきだ。
渾身の一撃でなくていい、つぎのモブ戦に移る前のつなぎの一撃でいい。
それだけで十分だ。

そして次の瞬間無様に地に伏して思う。
今日はいい一日だった、と。

 

 

あああああ日向紀久に殴られてえなあ。

HiGH&LOW THE MOVIE感想「火炎放射器で街を焼けばいいってものじゃ無かったよ」 ※注 含ネタバレ

火炎放射器で街を焼けば早いのに」

映画開始から数分、日本が舞台とは到底思えないスラム街に上がった、相当に豪勢な爆煙を見ながら私は考えていました。

「何故銃火器を出さない」

プロレスのように煽っていくスタイルの、やたらめったらカッコいいイケメンに次ぐイケメンの嵐の登場人物紹介を見ながら考えていました。

「ここまで無法が許される街なら、装甲車1台チャーターして商店街を蹂躙するのもありじゃないの」

でも焼かないのです。
蹂躙しないのです。
しかし、一瞬この映画ぬるいのではと今更出遅れ視聴もいいとこなタイミングで見始めて思った私を飾らない拳でぶん殴ってくるような、そこには確かな秩序と美しさがありました。

人はそれをハイローと呼びます。

 


映画開始から数分。私は混乱していました。

「何か凄いことが起こっているが何が凄いのかさっぱりわからないがしかし今見ているこの映画と言うには豪快すぎる何かが血管が切れるくらい面白い事だけは理解できる」

正直なところ私は人の名前と顔を一致させることが相当に苦手であって、冒頭のざっくりあらすじ紹介ムービーでは主役級のチームの名前が覚えられず、ましてや彼らの背景などさっぱりわからない状態でした。
しかもわからないままその後特にフォローも無くジェットコースターのように話は進み、立ち位置が分からないがスゲえいかした衣装のイケメンが現れるたびに異様にカッコいいBGMが爆音で流れ出し、わからないままに人は素手及び身近な道具類でぶっ飛ばされ、その割に誰も死なないようです。

 

良くわからない。これは何だ? 


何物だ? 

わからないものを前に、HULUの停止ボタンを押して離脱できない自分がいる。

これは何だ?


映画が後半戦に達しても尚、私は混乱していました。しかし徐々に、混乱を乗りこなし始めている自分を感じていたのです。
主役級の殴り合いの後ろまで一切の手抜きなし、画面の隅々まで大量の肉体が乱れ飛ぶ殴り合い映像は異様に美しく、高校生にしてはやや年配の方々が集う高校にも違和感よりも血中アドレナリンの増加を感じる程に僅か1時間で成長を遂げていたのです。

 

鬼邪高校のチームを満載した黒い無骨なトラックの後ろから走り込んでくるホワイトラスカルズのスタイリッシュな白いバイクの美しい対比、続けざまにアメ車のボンネットに乗った法被姿の妖艶な男性(後に彼が日向マハラジャボンネット紀久と呼ばれていることを知る)が気だるくやってきたシーンを見たときの衝撃はちょっと言葉では言い表せないです。


もはや言葉など必要は無いのでした。ただただ感じるだけです。美学に満ちた男たちの殴り合いを。
ここに火炎放射器を置けば、マシンガンを置けば、爆薬を置けば、絵面は派手になるでしょう。だがその瞬間男子たちの美は死ぬのです。

それが理解できました。

 

そう男子。男子です。これは男の子たちの夢の国です。
夢の国にリアルという野暮は持ち込めないのです。誰だって現実で十分事足りているのですそんなもの。中途半端にリアルぶったストーリーならいくらでもあるでしょう。そこに嘘が一個見出されればうんざりする。でも嘘が百個、千個あれば? 嘘を美しく彩る確かな技術があれば? そこにパラダイスが生まれます。
彼らは信じられないくらい高く飛ぶ。千人の悪漢に負けないくらい強い。強いことは高潔であるということです。
それで十分で、それはとても美しくて、たまらない2時間でした。

 

そういう映画でした。

完敗です。

 

 


日向ボンネットマハラジャ紀久さん、ザム見た時点ではこういうキャラだと早合点してました
全然違いました。

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