月観て走る

雄叫びメモ帳

舞台「サメと泳ぐ」個人的な覚え書き

2018/9/1から公演中の舞台「サメと泳ぐ」感想です。ネタバレを含みます

 

こりゃ胸糞悪いものを見てしまった、とカーテンコールで拍手しながら思った。

 

いや、舞台は良かった。とても良かった。

 

オフィス、ヒロインの自室、電話の向こう側と、舞台上で目まぐるしく展開されていく怒涛の台詞の応酬。

ちょっとあくどいくらいドラマチックに大音量で鳴り響くビバルディの「冬」。

惚れ惚れするような田中哲司氏の悪役ぶりに、真っ直ぐな夢を抱いた初心な好青年と、美しく苛烈なヒロイン。

田中圭氏が演じるガイは、舞台の幕が上がった瞬間はまごついた二十代のあんちゃんにしか見えない。それが僅かな時間でみるみる姿を変えてゆく。それを呆然と見守っているうちに三時間経っていた。

 

 

 

観ながらずっと、

「好きなこと」を仕事にした上で、

誠実なまま仕事に取り組んで、

なおかつ生活や人間関係をある程度破綻させないで年単位で継続させることは可能か、みたいな無理ゲーの問いをずっと考えておりましたよ。

……無理だろうな。

 

どこまで巻き戻したら主人公のガイが映画を愛したまましあわせになれる分岐を見つけられるのかなという問いも、繰り返しておりましたよ。

……冒頭で気の触れたような上司の怒鳴り声を聞いた瞬間に、こんな場所で働けるかクソがと椅子を蹴って田舎に帰る以上の選択肢が、もしかして彼にはあったんだろうか。

 

きっとハリウッドに限らず、夢を見る者の棲み家も、行く末も尽く地獄だということを、田中圭のわがままボディ目当てに劇場までのこのこやって来た、にわか観劇者(私だ)に突きつけてくる恐ろしい舞台だった。

 

 

 

 

野波麻帆氏が演じるヒロインのドーンには、男社会で生き延びる女性には必須の、老獪な柔らかさに、少し欠けているように思えた。

例えばクソ経営者様が「女性ならではのしなやかさで」とか小賢しく表現する、アレ。別に持つ必要は無いけれども、持っていれば若干生きのびる難易度が下がり、目的達成からは遠ざかる、厄介なアレ。

 

ただ、それを持たないドーンは、純粋だったのかもしれない。必死に棘で武装して、やりたいことを実現するために最短距離で突っ走った。

だからこそ彼女は生き延びられなかった。哀れなミス・ゴージャス。一途に自分の理想の映画を作ろうともがき、女として値踏みされ続け、腸が煮えくり返るような思いをいくつもいくつも重ね、とうとう恋人に殺される運命を迎える

 

「ここから逃げよう」彼女が体を張って積み上げてきたものから目を背けて、目の前の現実から目を逸らして、甘っちょろい逃避を囁くような恋人に。

 

 

観劇中、不意に「シェフ〜三ツ星フードトラック始めました〜」という映画を思い出していた。

かつて才気溢れていたトップシェフが、気が付くと惰性と妥協を受け入れざるを得ない雇われシェフの立場に陥り、私生活も家庭も壊滅状態、おまけにグルメブロガーとのネットバトルに巻き込まれ無職となり、紆余曲折を経て再生を果たすこの映画は、この舞台とかなり近いモノをテーマにしていたように思う。

町山智浩氏がラジオにて、映画のバックグラウンドを語っていらした → 

https://miyearnzzlabo.com/archives/21178

 

雇われ仕事での理想と現実を描きながらも、誠実で柔らかく、少しファンタジックなタッチが現実はここまで上手くいかないかもね、と、囁きつつ、それでも希望に満ちた映画だと思う。

似たようなテーマでも、ここまで違う口当たりにできるものか。

 

「シェフ〜」が大人の童話だとしたら、

「サメと泳ぐ」が舌に残すのは剥き出しのコンクリートの荒涼。

 

現実にビンタされ続けている身としては、フィクションとしてどちらのタッチが好みかといえば断然前者なのだけれども。

 

それなのに面白かった。ものすごく面白かった。胸にクソ重たい爆弾を喰らってしまった。くそう、悔しい。